坂口恭平はご近所さんだった

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 独立国家のつくりかたの坂口恭平さんはご近所だった。今の住所はよく分からないが昔は歩いて10分ほどの所に居られ、一度お会いしたいと思っていた。そうは思っても特別に用もないし、坂口は躁鬱病らしいと前著で読んで、二の足を踏んでいた間に引っ越してしまわれたようです。

 私はADHDの診断は下りていて、多分ASDで間違いなくトラウマPTSDがある。まあウツの傾向にある。友人にもウツの人がいて統合失調症の方もいた。そううつの人は全く知らないので興味深々というか、敬遠気味というか、面倒な状況にある。一言でいうと変り者なのです。

 このへんの状況は書かない訳にもいかず、書くと長くなり、まだ本著には入れていない。坂口は廃品利用で路上生活者の家を設計する。むろん違法建築で、これに車輪を付けてしまうが、そうなると合法となる。その写真集を作ったり売ったりしているのだが、経歴はなにやら私に似ている。

 私もワープロを買う前はガリ版の詩集を売った経験があり、買ってくれた人と読書会など交友をやっていっていた。むろん坂口の方が大粒で、早くから大きな成果が上がっている。坂口は自分の内側を観察して、社会との関係を問い直す姿がとても誠実で、痛みとユーモアが同居しいる。病を「治す」んじゃなく「生きるための知恵」に変えていく。

 坂口の「独立国家」は、あくまで精神的な自治の宣言であって法的な国家とは違う。だが現実の制度や権力構造に対する挑発としては大胆だ。二重国家のような構造になると、既存の日本国は黙っていられまい。制度の中で「見えない抵抗」が起き、無言の圧力がじわじわと働くだろう。

 型破りな活動は「新政府初代内閣総理大臣」を名乗って独立国家を宣言したり、「いのっちの電話」という自殺予防の取り組みも続けている。躁鬱病を公言しながら、社会の中で生きる術を模索し続けている。社会の枠組みから自由になるための実践的な哲学書みたいで、読んでいると「生きることって、もっと柔らかくていいんだ」と気づかされる。

 養老孟司さんの推薦が帯に付いているのが羨ましい。

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